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昔ばなし

1988年、いまから20年前です。
この年の7月の終わりに鮫洲で17回目で限定解除したオイラは、その10月に
今の883を手に入れます。

このころ最も良く読んでいた雑誌は月刊「クラブマン」。
すでに池田氏の883は長期インプレを開始していて、雪崩ののモデファイに進行中。
鮫洲に通うオイラはと言うと限定解除の暁にはZ1300を手に入れる予定が、隣のバイク屋の
オヤジの一言「1度くらいは乗っても損はない」にそそのかされ、クラブマンを読み返し
スポーツスターにのめりこみます。

このころ無理やりCRキャブをタンクの下に納めた白いトラッカースタイルのスポが筑波で
ドカを追い掛け回していました。
モトスポーツのスポーツスター、ハイアップのマフラーとバックステップ、トラッカーのシート
はハーレーの鈍重なイメージを払拭しました。
製作はご存知近藤さん。

それともう1台黄色いCRスタイルが同じようにドカを追い掛け回していました。
当時は有名だったフリーダムのCRキットをまとったフリーダムの883レーサー。
バックステップにセパハンのスタイルは、モトスポーツとは違ったスポーティーさで
オイラを魅了しました。

エボのスポーツスターは当時既にレースをしていたXR1000よりも速かった。
アメリカにXRのチューンを問い合わせれば、エボいじった方が速いんだから
エボいじれと答えが返ってくる始末。

90年の4速時代は、壊れるミッションと戦いながら、様々なエボレーサーが
ペペルやパンタのドカやミントのBM、スポルトのグッチなど、様々なツインエンジンの
レーサーと戦っていた華やかな時代でした。

もうオイラは自分の883どうしてくれようと思いながらも、思い通りにならないじゃじゃ馬を
なんとか普通に走れるようにするべく、格闘が始まっていました(笑。

この頃のスポーツスターカスタムは少ない情報と少ないパーツ、スタイリッシュなデザインなど
皆無に等しい状況で、従来のチョッパーやディガーのスタイルを払拭すべく、模索が始まっていました。
4速の新車にノーマルで乗った事がある方は、あのショボイパワーと貧弱な足回りに落胆
しつつ、数少ないパーツや国産の流用で何とかしようとあがいている頃です。

90年代に突入する91年、待望の5速が発売されミッション強度も見直されて、やっと
吊るしで乗ってもいいかもねって感じなりました。
レーサー達もこぞって5速に乗り換え信頼できるパワープラントを手に入れます。
しかしサーキットにも異変が起こります。
当時はまだまだツインのエンジンはOHVが主流でしたが、そこにドカティーが水冷888を
発売。
その圧倒的なパフォーマンスは、競うなどというレベルではなく、モデファイドクラスでは
独壇場となり、ハーレーはワンメイクレースでしか生き残れなくなります。
それでもSSCはスポーツスターの新しいカスタムの方向性や手軽なロードモデファイに
大きな影響を与えました。
この頃よりセッティングの情報やパーツの数が激増し、手軽に楽しむ環境が整ってきました。
ブームはハーレー全体に波及し、その流れは21世紀まで続きます。

88年のある日、オイラが買った一冊のクラブマンが今のオイラの883のカスタムに繋がっています。
あの頃雑誌からうけた衝撃は未だにオイラの中に残っています。
by jyai883 | 2008-02-18 22:24
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