883の記憶

昭和63年9月の終わり、オイラの‘89モデル883はバイク屋に運ばれてきました。

亡くなった先代が軽トラで、箱出しの883を今はディーラー権を失った「福田モーター商会」に
取りに行き、店の前でUターンした瞬間、オイラの記憶は昔テレビで見た「さすらいのライダーブロンソン」の
世界にフラッシュバックしたのを思い出します。

軽トラから下された883は、まだ各部に梱包用の倒れ止めフックをつけたまま、べったりと防錆剤が
塗られ、砂とほこりにまみれ、汚いことこの上ない(笑。
2,3日うちに組み立てられ、ハンドルなどは定位置に戻され、バッテリーも充電されて、
イグニッションスイッチに導通されたヘッドライトは、1段目のジャンプコードが切られ、洗車され、
目の前でエンジンスタート、蒸発する防錆剤の煙と共に、ものすごいメカノイズ。
そして、メカノイズより音の小さい排気音(笑。
「う~ん、コレがハーレー?」って気持ち半分で、初めて所有する外車、それもハーレーダヴィッドソンを
眺めていました。

最初からトラブルもありました。
フロントマスターシリンダーのバンジョーのオイルシールワッシャーからはフルード漏れ。
ヘッドライトは本国仕様のままなど、いきなり部品待ちがあり、その他2名乗車のための追加部品の設置、
オプションの12・75タンクの塗装など結局2週間ほど待たされて、偶然自分の誕生日に登録されました。

初めて乗ったときの、あまりの遅さに目がくらみ、遅いとは聞いていたけど、コレほどまでとはと
変な感心をしながら、オイラのハーレーライフは始まります。

今思えば、排気はダブルバッフルで全然抜けないインターナショナルサイレンサーのせいで、
オプションのスクリーミンに変えればソコソコ走れたし、ほぼ直管のこのマフラーで白バイに並び、
吹かしてみても、おまわりさんは相手にせずに横向いちゃうような時代でしたから、
まだまだハーレーが珍しかった頃です。

お陰で情報を持たないオイラは、専門ショップでもないし情報収集から始めなければなりません。
当時は雑誌くらいしかありませんから、本国のマニュアルと雑誌の特集を集めまくり、
へインズなどの社外マニュアルも探し回りました。
そもそも工具も全部買い足しで、ユニファイ工具がなければ、オイル交換さえできない。
構造の勉強もそう。
プライマリーチェーンって何?、ミッション別体?、エンジンオイルドレンは刺さってるだけ?、
そもそもプラグは何番?、エンジンオイルは何がいい?・・・etc。

すべてが日本的常識が通じない、異国のバイク。
走れば遅い遅い、走らない、ブレーキは全然効かない、曲がろうと思うと立ちが強く言うことを効かない、
さ~どうしたもんかいな?。
いきなり100万ほどローンで突っ込んじゃったし、後には引けない。

オイラの883の記憶は、バイクに乗り始めて3年。
改めてやり直す羽目になる、バイクに関する、走ること、、いじること、構造、仕組み、歴史、比較、
類推、思考、哲学、楽しみ、遊びの勉強の記憶です。
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by jyai883 | 2014-05-07 09:16
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