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日本人とは?(2。

(1から続きます。

危機に面して、どれだけ協力しあえるかという点で社会を採点するなら、世界中が、先週の地震と津波の後の日本の人々にA+を与えるだろう。

略奪(looting)も暴動もないという事実に関しては、すでにたくさんの報道がされている。商品が切れているにもかかわらず、スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドできちんと列をつくり、押したり喧嘩をしたりすることなく並んでいる人々。
打撃を受けた福島の第一原発で破滅を食い止めようと働く人々は、英雄のように迎えられはしない。シンプルに自分たちの仕事をしている人たちなのだ。少なくとも、日本人はそう考えている。

西欧の人々は、日本のこうした協調精神や自己を抑制する傾向を理解できず、ほとんど当惑している。私たちには、これは極端な自己犠牲に思えるのだ。でも、日本人にとっては、これは普通の行動だ。……なにも異常ではない。

どんな環境あって、日本人はこんなことができるのだろう?そうして、どんな環境があって、米国ではこういうことを見聞きしないのだろう?

日本人の母をもつ日系アメリカ人として、私は2、3、理論をもっている。

私は決して専門家ではない。けれど、私を育ててくれた人は、祖国の文化ではあまりに変わり者すぎて満足できず、なのになお祖国に焦がれつづけた一人の日本人だった。
双方の文化に足を突っ込みながら、そのどちらにも安住の地を見つけられなかった母は、日本と米国の違いを熱心に語ったものだった。たとえば、礼儀上、ほとんどの日本人ははっきりとものを言わないといったようなことを。

母の体験や、母の友人たち(一時的でも永久的にでも、米国に住んでいる日本女性たち)の体験を通じて、私は日本文化の感覚を覚えた。そして、アメリカ人であることがいろいろな意味で日本人であることとは正反対であることも知った。

私が、日本文化に強い影響を及ぼしていると考える要因がある。

日本は、資源の限られた島国である。

経費が掛かるからというのではなく、ときとして日本人はあまり物を買い込まない。アメリカのようにたくさん物を溜め込む場所があまりないというのが単純な理由だ。
たとえば、典型的な日本のキッチンは、アメリカのキッチンより格段に物で溢れていて、非常に狭い。キッチンに夢見るのは花こう岩の調理台とステンレスの電化製品なんていうアメリカとはちがう。

土地が狭いと、家畜を育てる牧草地も少ないということになる。ついでに、日本人がアメリカ人のように肉や乳製品を食べるようになったのは、ほんのここ数十年の話だ。
通常は、アメリカに滞在していても、日本人の毎日の食事の主軸は肉や乳製品ではない。日本人の伝統的な食事はもっともっとシンプルで、品数も少ない。これは、食事を準備するスペースの狭さからきている可能性がある。

こうした日本の習慣を、私たちは風変わりで面白いと捉える。たとえば、フトンで寝ること、床にすわって食事をすること、弁当箱で食事をとること、炊飯器を使うこと。これらは、空間の狭さに起因しているものだ。
フトンは畳んでしまえる。テーブルは好きな場所に運べる。仕切りのついた弁当箱は、最小限にまとめてさまざまなオカズをちょっとずつ入れられ、食事を持ち運びできるようになる。炊飯器は食事の手順を簡素化できるうえ、調理台の上ではささやかな場所しかとらない。

大量消費は存在はするけれども、余計なものを買い溜めできる場所がないのだから、多く買いすぎるというわけにはなかなかいかない。


日本は、災害に備えることが習慣になっているし、苦難を耐え抜く強い心をもっている。

日本では地震が日常茶飯事だ。そのため、地震の試練は普通に生活の一部になっている。人々は、いつ災害が襲ってくるかわからないと、常に意識しながら暮らしている。
日本の最も上の老年層は、第二次世界大戦の苦難を覚えている。品物が欠乏し、空襲警報が鳴ると、爆撃を避けるために防空壕へ走ったあの時代のことを。

私の母は戦争のことはめったに話さなかったが、一度、こう話してくれたことがある。母の家族はいつも日常的に貴重品をまとめ、地下に食料や物資が入った貯蔵庫を埋めていた。だから、たとえ家が爆撃で焼け落ちようとも、すべてを失わないようにできていたんだ、と。

今、日本の壊滅的打撃を伝えるニュースを見ると、いくつかの地域で食料の供給がかなり制限されているという。しばしばヌードルやお茶が不足しているとも。
避難所では、人々が長い列を作ってオニギリを受け取っている。オニギリとは塩をまぶした米を丸く握ったもので、通常は海草で包まれている。米国の標準からすれば質素に思えるかもしれないが、これは日本の食事の基本だ。
誰も、不平不満は言わない。みな食べ物に感謝し、みんなが食べられるようにするには、状況を見てそれに応じなければならないことを理解している。


日本文化は協調を奨励し、利己主義を阻止する。

しばしばガイジン(日本人ではない人たち)にとって理解しがたいのは、アメリカ人が愛しく大事にしている価値観が、日本の価値観と全く正反対のものだということだ。アメリカ人が重きを置くもの、つまり、自己決定、個性、自己主張、自立、そして強い自意識だ。

日本で最も大事にされているのは、集団だ。個人ではない。学校、家庭、メディア、社会的プレッシャーを通じて、子供たちは、自分たちの役割が自分のためではなく、大きな善のために尽くすことだと教えられる。

利己主義は外国の概念であり、仲間と協力して動けずに自分第一に考える子供は行儀が悪いと思われてしまう。そして、他より自分自身の欲求を優先すると、そんな考え方では社会に居場所がないことをすぐに学ぶことになる。
お辞儀をする日本の習慣は、こうした特異性が表れている。深くお辞儀をすればするほど、より深い尊敬と敬意をもって相手とつきあっていることを示している。

このような日本的な美徳は、深く心に根付くため、日本の影響を受けずに育つということが大きな問題になりかねない。日本の子供たちが米国にやってきて、学校に通い、その後、再び日本に戻り、適応しようという段になって、大問題になることがあるのだ。

私の母の若い友人たちの体験は、「日本人であること」と「アメリカ人であること」の文化的な違いが非常に大きいということだけでなく、許されざることだということを証明している。

私の故郷は大きな大学を中心としているため、海外からの多くの留学生を引き寄せている。大学院で学位を取得する人たちは、家族とともに来ていたりする。
私の日本人の母は、そうした留学生の妻たちに地元のアジアン・マーケットや日本レストランを紹介する熱心かつ熱狂的な大使役だった。

彼らの中には幼い子供を連れて米国にやってきて、滞在中、子供を保育園や幼稚園、小学校に通わせる人たちも少なくなかった。
その後、彼らは日本の公立学校へ戻っていくのだが、帰国後、半分以上の確率で、妻のほうから母に、彼女の娘や息子たちを日本の公立学校のシステムに順応させるのがどれほど大変かを綴った手紙が来た。

こうしたアメリカナイズされた子供たちは、躾上の問題を抱えていると見なされた。他の日本人の子供に比べて、ずけずけモノを言う、規則に従わない、わがまま、協調性がない…。
ほとんどすべての場合、彼女たちは結果的に子供をアメリカ人生徒のために作られた私立学校へ通わせるはめになることを母は経験で学んだ。

米国で暮らしていた日本人の子供たちは、アメリカ人の基準から見れば、行動上の問題はなんら見受けられない。日本の基準で何をもって問題児とされたか、それは彼らのアメリカ人的特徴だった。
彼らは、独立していて、自分に自信があり、恐れることなっく率直に話したり自分だけで決める。アメリカ人の子供ならほとんどが、その特徴をもっていれば、学校でうまく過ごせ、人生を謳歌できる。アメリカでは価値があるものとされる、そうした特徴が、精神構造が全く異なる日本では問題になってしまう。

どちらのモノの考え方が優れているということではない。どちらもその国の文化、環境、歴史の上に成り立つ、その国独特のものなのだ。

けれども、日本の大惨事のニュースを見ていると、日本人たちは、この苦難のときに議論も争いもなく、自然と協力しあっている。日本人は、個人の自発性を重要視せず、集団にとっての最善の利益を目指して動くことに慣れている。

子供たちが急き立てられずとも一生懸命勉強し、会社員は家族の時間を犠牲にして長時間、仕事に打ち込む。そういう日本人の価値観が、この苦難の中でも、そうしてこれまで起こってきたさまざまな災害の中でも、不平も言わず耐え抜く日本人を作り上げている。人とちがう行動をとる(西欧の人々はそうなるのではないかと予想しているが)のは、外国の考え方なのだ。

私は米国で生まれ育ったとはいえ、他人に敬意をほとんど払わない行儀の悪い行動をとったときや、自分のことばかり考えすぎているとき、自分がもっているものを平等に人と分かち合うことを拒んだとき、こうした日本の価値観がはっきりと形になって私の前に現れた。
母が怒りの声を上げ、こう言ったものだ。「お前は日本人じゃない!アメリカ人だ!」

私は昔、この言葉を否定的なものだと思っていた。けなしているのだ、と。でも、現実的には、私が世界に対して「私、私、私」という立ち位置でアプローチしているという母の観察にすぎなかった。彼女は、他人を優先し、自分を最後に回すように育てられてきた人だった。

ゆうべ、日本のニュースを見ていて、私はあるインタビューに衝撃を受けた。
インタビューされていたのは、メルトダウンの可能性が高まるのを食い止めようとしている第一原発プラントの50人の社員、― 『Fukushima Fifty』の妻の一人だった。

彼女は、夫と携帯電話で「気をつけて。がんばってください。私はしばらく家を離れることになります」と話したことを落ち着いた声で語っていた。そして、彼女は、夫が立派に仕事に努められるよう祈っていると言った。

日本人である彼女は、夫がやらねばならないことは職務であると理解していた。夫が全力を尽くして仕事をするのは、みなの最善の利益のためだった。
彼はもう生きては家に帰ってこないかもしれないと恐れたところで、夫の身を案じていることを大声で訴えたところで、彼の仕事の助けになるわけではない。そんなことを叫ぶのは、正しいことではないし、適切でもないのだ。

アメリカ人の妻や夫が、彼女と同じような行動をとるのをあなたは思い描けるか?私はできない。日本人とアメリカ人、どっちが正しいのかって?そんな問題じゃない。

今この瞬間、日本は、自分がありえない状況にいることを自覚している。地と水と火が起こした大惨事は、結末も見えないまま、続いている。被害が大きかった地域を寒波と雪が襲い、生存しているかもしれない人々の帰還を阻んでいる。数え切れない数の遺体の収容を邪魔している。

それでも、日本の人々は礼節と思いやりを失わない。みんなのために善かれと願い、働く気持ちをなくさない。そうすることで、日本人の一番素晴らしい部分を守っている。
彼らは多くを失うかもしれない。けれど、魂は失ってはいない。日本人が受け継いできた文化も、品格もなくしてはいない。

この絶望のさなかでも、彼らは私たちすべてをはっとさせる。

私の母が昔よく言っていたように、彼らは日本人なのだ。

私にとって模範を示してくれていた母はもういない。でも、今、私は数百万人のロールモデルを見ている。
ただ思うのは、母の言葉の裏側にあった静かな品位と控えめなプライドを、こんな呆然とするほどの悲劇から学びたくなかったということだ。

彼らは日本人なのだ。甚大な被害、そしてこの試練を乗り越えられるのかどうかという大勝負の今、こんなときだからこそ、私たちだって、日本人のような品格をもてるよう祈ろう。●


いかがだったでしょうか?。
オイラはこのエッセイを読んで、今まで当たり前に思っていたことが、少しは正しかったんだなと
思え、少し誇らしげに思えました。
そしてまた、正直生きていこうと思います。
そして最後に、オイラもそんな両親に育てられたことを思い出しました。
by jyai883 | 2011-11-23 09:18
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