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それでは4速883に乗ってみる。 3

ではでは、4速883で高速乗ってみましょう。
ノーマルマフラーだともっさり走りますから、全開120、伸び一杯140ほどしか出ませんが、
この辺はマフラーを変えただけでも、10kmづつ位上がりますし、加速も速くなります。
振動はハーレーらしいものですが、過度なことはありませんから、我慢できないわけではありません。

面白いのは、4速の現行当時は、アメリカのハイウェイも最高速55マイルの頃ですが、
ノーマル883もこの80~88km(55マイル)くらいでは振動が収束し、あのブレブレで何の役にも
立たないロングステーのミラーが、見えるようになります(笑。
もっともゆっくり走行車線を走っていても、スポーツスターは面白くありませんが、この速度域は
燃費もよく、オイラは800kmのツーリングに出て最後までノタノタ走ったことがありますが、
そのときの平均燃費が30km/Lほどでしたね。

まあセッティングしてしまえば、120~140の巡航も普通にこなすことができます、
オイラの場合、やや濃い目のセッティングと巨大な空気抵抗のお陰で22~24km/Lほどに落ちます(笑。
まあ街中でも20km/Lは今でも切りませんから、燃費は良いほうでしょう。

さてこの平和な速度域を超えるといろいろなことが起こり始めます。
まずほんの少し速度をあげた、90~100の速度域で変化が始まります。
この速度域では特定な振動が出るのですが、特にお尻の穴がムズムズするようなもので、
大したことはありませんが、不快です(笑。
走行には問題ありませんが、気分的には良くありませんね。
ここから振動は120ほどをピークに大きくなって、それ以上ではあまり変化はありません。
このムズムズが結構気になり、国産のマスツーなどの参加すると、千鳥で100ほどで走るので、
気分は最低でしたね、もう少し早いか遅いかにして欲しかったです(笑。
もっともコレもセッティングをすれば、80kmほどに落ちてくるし、振動の出方も変わるので大丈夫です。

さて次の大きな変化は、150を越えたあたりから出始めます。
まっすぐ走らなくなるのです(笑。
正確に言うと真っ直ぐは走るのですが、車体がゆっくりヨレはじめ、スネーキングのようになってきます。
乗っていて怖いわけではないので、オイラはそのまま走りますが、人によっては気持ち悪いかもしれません。
ハンドルが左右に振れたり、リアがばたばたしたりはしませんが、ハンドルの先端が
自転車を漕いでいる様な感じですかね。
コレはなくなりはしませんが、タイヤの選択やフロントにフォークブレーズをはめると変わります。
っまオイラはそのままですけど。

そんなことは起きますが、ぶん回したときのVツインエンジンは最高なので、以前は早朝など高速乗って、
気晴らしをしていましたが、今はほとんどやらなくなりました。
セッティングの確認や、取り替えたマフラーの状態を知る上で、お気に入りのコースを、
ぶっ飛ばすと爽快でしたね。
高い高速域では、タイヤの選択によっては、このフレームと言うかスイングアームと言うかのヨレが、
悪さをするようなことは、友人から聞いていますが、そうそう起こるわけではないようです。

もっとも長時間そのように走るバイクでもないし、風圧との闘いですから、快適に流すほうが
今は楽チンで走りやすいです。
ちなみにオイラが出したことがある、各ギアの最高速度は、1速90km、2速140km、3速150km、4速170kmですね。
もちろんセッティング後であり、吸排気、電装は変更してからです。
‘95くらいの頃でしたが、まあ883のノーマルエンジンでは、そんなもんでしょう。
1200だったらもっと行きますけど、今はもうやりませんね。

ただオイラの体重は0.1tなので、軽くて小さいやつならもう少し行くのですが、ノーマルのカムの伸びの
限界もそのあたりらしく、トップエンドはほとんど伸びなくなると、乗せた友人は言ってました。

不謹慎と言われることですが、昔のいたずらですし、このバイクはどんなもんだろう?と言う疑問に対する
答えが欲しかったので、やってしまったで、今では交通事情も変わりましたし、怖さの中より
楽しく走るようにしております。
今は当然メインジェットの選択を公道ではやらないように、注意していますし。
危険なことしないように、メインジェット聞かれれば、大体の車体なら合うような数値を、
お教えしています。
それで、普段の走りも元気になります。
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by jyai883 | 2011-11-29 20:42

4速883に乗ってみる 2

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あんまり応募が来ないので、カラータイマー発動です(笑。


それではエンジンも温まってきたところで、走り出してみましょう。
おもむろにグワシと目一杯クラッチレバーを握って、ギアを1速に入れます。
クラッチの切れ具合にもよるし、シフターに対する加工にもよりますが、ノーマルの4速では、
知らなければ「ぶ、っぶっ壊れる!」と思うくらい、グワッシャンと1速ギアが入ることがありますが、
まあいつもではないし、実際そのまま壊れれることもなく、かえってびびって、中途半端に
シフターを壊してしまわないように、思い切り良く入れます(笑。

半クラ短めでさっさと走り出すと、思いのほかマイルドな加速で走り始めます。
目の前の景色は、1メーターの下に4つのコーションランプが並ぶシンプルなもの。
ハンドルはハーレー的にはフラットバーと言いますが、幅が狭く(700mm程度)やや高めで、
楽チンですが、やや絞れているため、オイラは脇が窮屈に感じます。
広めのフラットバーに変えて走るのが、ノーマルスタイルのオイラの理想ですが、
ノーマルハンドルは、フロントの感じ方がやや重く、動かしづらく感じるのはオイラだけですかね。
まあ余計な加重やこじることができないようにできています。
そのままシフトアップしていくと、街中の車の後ろでは3速で走行することになります。

ノーマルだと4速に入るのが60kmくらいですが、このとき3速で走っていると意外とエンジンを
回して走る感覚です。
ぶん回すことに慣れてしまえば、何でもありませんが、慣れないとシフトアップしたくなるくらい
回して走るものの、実際には4速に入らず、一般的な車の流れの50~60kmは、
4速のギアにはあっていない感じがします。
5速になるとずっと走りやすくなるものの、ギアの間が広い4速ではそう感じます。
開けて走っているときは、このギアの感覚が大またな加速の伸びとして感じられ、
もうちょっと回そうかな~と引っ張って走るのが楽しく、特に3速の60km以上の伸びは、
4速に入れるのを忘れるくらいですが、ミッションを考えると偶に位にしています(笑。

ノーマルの4速では、実際に走り出すと速度の伸びも加速も、よく言えばマイルド、
はっきり言うとドン臭いため、「う~ん?」ってな感じになってしまいますが、
当時の883はすべて1200にボアアップされてしまったなどという噂が出てしまうのにも、
このようなわけがあります。
まさにとても900CCもあるバイクの加速じゃないって事です。
この辺は前述のようにマフラーを変えると一変します。
当時多くは直管に近いものでしたが、オイラも最近はうるさいのがダメになってきたので、
マフラーは1200S用にするでしょうね。
正直1200S用でも他の社外マフラーに比べればマイルドですが、トルクが太く感じるのも事実で、
低速側はずっと走りやすくなります。

ついでの吸気もちょいといじれば、今のオイラならそれで満足できてしまうでしょうね。
4速の加速の伸びは独特で、次のシフトをしようかなと思っているところから、スロットルを開けていくと、
思いのほか良く伸びます。
吸排気をやって、ついでに電装もいじってあれば尚更です。
結局楽しく乗るためにそこかよ見たいな感じですが、スポーツスターらしさを感じる部分でもありますね。

ノーマルハンドルとそら豆シートが作り出すポジションは、巨人のオイラにとっては窮屈です(笑。
オイラにとってはシート座面を前後に移動できないそら豆シートが特にダメで、
シートもすぐに変えてしまいましたが、薄いものより厚いもののほうが乗り安く感じます。
これまた不人気で、ノーマルで付いていた1200はすべて外してしまったと言われる、
1200用の応接間のソファーのようなピロータックWシートが、気が付けばすごく走りやすい
シートだったと今でも思っています。

後に低く、広いハンドルで上体を前へ追いやると、ステップの位置とそら豆シートが付くポジションが、
ひどく走りやすいものだったのが、後年分かるのですが、このポジションの設定で、同じ車体から
受ける印象がすごく変わることは、CRJを製作したときも同じように感じたことです。

ドノーマルで走り出すと、とても900CCあるバイクと思えないほど、ドン臭いダッシュと加速。
重さだけはしっかり200kg級に感じます。
前後のサスもどことなく落ち着きがなく、硬いのか柔らかいのか分からない印象で、
リアサスなどは、1度ゆれだすといつまでもゆれたままだし、どうなってるのかよく分からない
走りを感じます。
それに最初についていた四角く硬いだけのダンロップのタイヤが、拍車をかけました(笑。

但し、ただ一点だけ確実にスポーツスターらしさを感じる部分もあります。
それは積極的にコーナーでも直線でも開けて走るとき、その片鱗を垣間見せてくれます。
コーナーでは早めのブレーキで効かない減速を補い、スロットルを開けながら曲がると、
安定してグイグイ向きを変えていきます。
直線では巡航させず、シフトせずに開け続けるとグ~ンと伸びながら加速し続けます。

そんな一点を見つけることができたからこそ、しぶとく今まで乗ってこれたと思います。
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by jyai883 | 2011-11-28 20:07

それでは4速883に乗ってみる。 1

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先日の散歩のときに、突然オイラの前にどノーマルの4速883が現れたら、どう感じるだろう?と、
思いながら走っていたので、今日はそれを書いてみようと思います、‘89 883の場合で。

すでに全車インジェクションになってイージースタートが可能になってるいるハーレーですが、
キャブセットノーマルの4速の発進は、ちょっとて面倒です。

おもむろに車体を引きだし、サイドスタンドを掛け、キーをエンジン左サイドのセンターブラケットにある
イグニッションスイッチに差込ONにします。
ONは2段階あり、どちらもスタートできますが、オイラの車体は1段目のヘッドライトのジャンプコードを
カットしてあるため、スタートは1段目、ヘッドライトを点灯するときは2段目になります。
スポーツスターの場合、走行中にこの操作をしても、1時電源がカットされないので、
エボビッグツインの初期のように、盛大なバックファイヤーは鳴らさずにすみます。

さてキーと同じ場所にあるCVのエンリッチナーノブを一杯に引き、エンジンのスタートボタンを
押せばあっさりエンジンは目を覚まします。
オイラはこのとき少しだけまたがってバイクを正立させるのですが、4速スポーツのミッションオイルは、
600CCと少なく、サイドスタンド状態では、左のプライマリーカバー側に偏ってしまいます。
普段乗っていれば良いですが、期間が開いたりして、エンジンそのものがドライスタートに近い状態のときは、
メインギア方向のオイル切れも考え、1時的に正立させて、オイルが回るようにします。

このときCVのエンリッチナーのガスは非常に大量に供給されているため、30秒以上の全開は、
避けたほうが良いですね。
慣れてくれば、そのまま走行しながら暖気もできますが、慣れない内は、ただプラグが汚れて、
死んでしまうだけだし、冬のオイルは硬く、コールドスタート状態での走行も難しいので、
やめたほうが無難でしょう。
30秒ほど経つと連続音が早いリズムのアイドル音に変わりますから、このときハンドル右の
スイッチボックス下にある、スロットルストップスクリューを締めて、グリップが勝手に戻らないように
してから、エンリッチナーノブを半分戻して、最初の連続音くらいまで、アクセルグリップを開けます。

およそこのまま2~3分くらいでしょうか。
キャブのセッティングをしてしまうとこのまま1分ほどでノブを全部戻せてしまうのですが、
このとき軽くノブを戻して、回転が大きく落ちるようなら、まだ戻せない状態にあると考えます。
ある程度温度が上がってエンジンの暖気が進むと、この状態でエンリッチナーノブを全部戻してしまっても、
回転が落ちなくなります。

そうなれば後1~2分回して、ストップスクリューを戻せば普通にアイドリングするでしょう。
こうなればノーマル4速はいつでも発進できます、この間5~6分くらいですかね。
キャブセッティングをすると、冬でもこの半分くらいの時間ですし、走行しながら暖気できるようになれば、
チョークノブを引いたまま、続く暖気走行を行っても問題ありませんが、慣れないとプラグが死んでしまい、
突然200kgの重石を引いて帰らなければなりません。
走り出してもエンジンがアイドルせずに止まってしまい、そこで再びチョークを引くとアイドルする状態が、
出ることがありますが、このときはすでにプラグはかなり汚れた状態になっていて、そのまま温まれば
なんとなりますが、再始動できなくなれば、完全にプラグデッドです。
俗にオイラは「暖気へたくそ」と言いますが、乗り始めたときはオイラもわけが分からず数回やってしまい、
最後は3km押して帰ってきました(笑。

キャブのセッティングをすると、通常の走行状態では少し濃い目のため、オイラはプラグをNGKの6番にして、
走りますが、どノーマルなら7番で十分でしょう。
夏場の暑いときなら8番でも問題なく走りました。

さて走れるようになったからと、それで暖気は終わりません。
走れるようになってもエンジンの各部は運転温度に達していないので、いろんな数値が適正になっていないと
考えます。
まあ問題ない範囲内なのは間違いありませんが、夏場はともかくオイラは走り出してから2kmほどは
暖気走行と考え、ゆっくりなじませるように走るようにしています。
先日走ったときも、今シーズン初めてオイルの硬さを感じ、それはエンジンお回り具合や、シフトの硬さにも
現れるため、そんなところが消えてくるまでは、ゆっくり走って暖めるようにしています。

どノーマルの4速で走り出して最初に気づくのは、あまりに静かなと言うよりしょぼい排気音と、
それより盛大なエンジンのメカニカルノイズでしょうね。
オイラは友人に「このエンジン壊れてる」と言われましたが、それが正常な状態です。
実際5速よりも少々荒っぽいエンジンのため、各部の作動音は良く聞こえますが、それで正常です。
極端なノック音や擦音じゃないかぎりは、異常ではないでしょう。
この素晴らしく静かなマフラーですが、抜けが非常に悪く、信号発進で125と同等ぐらいしか出て行かず、
オイラはマフラーだけさっさと交換してしまいました。
今だったらきっと適正なマフラーでキャブもいじらず(無理かな 笑)、伸びる燃費で走ると思うのですが、
さすがにマフラーだけはやらないと楽しくありません。
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by jyai883 | 2011-11-28 13:48

おっ?!

今日は遅番なので、こんな時間にブログ書いてます。

昨日は休みで、何をしようかと思っていたのですが、久々にガレージにバイクを触りに行きました。
っがキーも持っているし、CRJを引っ張り出して、暖気を始めて、暖かい午前中走り出して
しまいました。
オイル回し程度と思って、軽く野田まで流します。
オイラが走るのは、ほとんどがダンプ街道なので、休日は良いのですが、平日は大型が満載(笑。
それでもちょっと走れる部分もあるので、軽く流すつもりでしたが、
突然前が開けると、回してみたくもなります。

そのときも信号待ちで、前に車はいません。
発進と同時に軽く3000くらいまで回し、そのまま回転をあげながら3速まで。
大した速度も出てないし、速くもありませんが、その瞬間・・・。
軽く・・・頭の芯が・・・しびれた。

「おっ?久しぶり」・・・そんな感じ。
その後県道を自分のペースで走ります。
そんな帰り道、長い直線の田んぼ道、再び前が開いてクリアに・・・。
今度は4000ほどで3速までつなぎます。
再び「おっ?」・・・いつもと違う排気音を聞きながら、満面の笑みで直線が終わり、
再び巡航に。

あ~バイクに乗るってこれがあるからな~と思いながら帰途に着きました(笑。

その後ガレージに帰って、CRJを軽く掃除。
メーターとニュートラルランプが消えてしまったCL400のメンテを開始。
メーターを外しバルブをチェックするも、予定どおり問題なし。
今度はヘッドライトばらしてコネクターをチェック。
やはりメーターに行く端子が引っ込んでいます。
引き抜いて爪を立て直し、接点を磨いて終了のはず・・・。
次の瞬間、キーを入れてキック踏んでました(笑。
そのまま区内めぐり。

CRJとは違ったギア比の大きな、軽い吹けあがり。
アップライトポジションは、体感速度は満点、実走速度は、安全運転。
格段に軽い車体と、幅広のハンドルポジションは、走りも軽くします。
まるで自転車みたいなバイク。
スピードなんかを求めない、気持ちも軽く、エンジンも軽い走り。
ブンブン回して乗り回す。
「おっ?そうそうこれこれ」

あ~面白かった。

そんな休日でした。
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by jyai883 | 2011-11-25 08:43

みんなのスポーツスターを見てみよう・・・13

ようやくご応募いただいた、沖縄のSHEPさんの‘86 4速883です。

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本人のコメント

ジャイアンさん

早速のご連絡、ありがとうございます。

883が私の元に来たきっかけは、
見た瞬間に「かっこいい!」と気に入って、引き取ることになりました。

4速スポーツスターを捜し求めていたわけでないのですが、
いつのまにか自分が手にすることになってしまい、
偶然がいくつも重なり合って、しかも運命的な不思議さを感じてます。

いざ自分のものになったスポーツスターですが、バイクの免許をとってまだ1年。
何の知識も持ってないんです。
いろいろ調べていたところ、ジャイアンさんのブログにたどり着き、
その豊富な知識と経験に驚き、何より4速スポーツスターへの愛情が伝わってきました。
むさぼるようにブログを読んでいる内、是非この'86 883を見ていただきたいとメールしました。

私は、まだ何もいじっていないので、コメントのしようがなく、
またどこに手をいれられているかもわかっていない状態です。
できましたらジャイアンさんに、解説していただけますでしょうか。

どうぞよろしくお願いします。

そしてこれからもお付き合いお願いいたします。

SHEP
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

解説と言われても、‘86の車体は輸入量が少ないため、オイラも実車を見たことがありません。
お陰でいただいた画像は、ガン見状態ですが、いくつか気づいたことを書きましょう。

全体的にはよくノーマルのスタイルを保っていると思います。
やはりスポーツスターはこのスタイルがかっこいいですね。
リアのブレーキキャリパーが、それ以前のショベルと同じだったり、‘87と同じようにオイラの883とは違う
サイドスタンド取り付け位置がやや前方だったりしています。
画像から見えることから、サイドリフレクターが赤で、リアウィンカーがウィングステーだったり、
ウィンカーボタンがプッシュ式だったりしますから、国内に正規で入ったものではなく、本国仕様かも
しれません。
ただスポークホイールだったり、タンデムステップが付いていることから、STDの883ではなく、
デラックスだった車体なのかもと思っております。
車体番号の1HDに続くアルファベットがCAMではなくCFMならデラックス、CEMならハガーです。
当時は正規輸入以外にも、複数の輸入ルートがあったので、まあどんな車体があっても、
おかしくないですね。

離島にあるスポーツスターのアルミ腐食は、ごえもんさんの大島帰りで経験済みですが、
画像を見る限りは、よく手が入っていて、大事に乗られていたと思います。
メーターはミニに、マフラーはパイソンかサンティーでしょうか、オイラが珍しいと思ったのは、
ドライブスプロケットで、純正は丸穴ですが、横丸のものは見たことがありません。

タンクのペットコックは確かバタフライキャブですから、友人が言うにはバルブが後ろ向きの
はずですが、左出しなんですね。
それでも35φのナローフォークを持つスポーツスターはかっこいいと思います。
リアサスは短いものが付いていますが、前述のとおりハガーならノーマルだし、特に変更されていても
おかしいところではありません。

どうしてもSTD883を基準に見てしまうため、ノーマルなのかどうか判然としませんが、
これでエンジンの調子がよければ、あとはミッションに気をつけながら乗れば楽しい限りです。
後はオーナーの個性と使い勝手で変わっていくと思いますが、かっこよく乗ってくださいね。

あ~オイラももう1台、STDの4速883が欲しいな~(笑。

追加で斜め後ろも載せましょう。
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by jyai883 | 2011-11-24 08:51

日本人とは?(2。

(1から続きます。

危機に面して、どれだけ協力しあえるかという点で社会を採点するなら、世界中が、先週の地震と津波の後の日本の人々にA+を与えるだろう。

略奪(looting)も暴動もないという事実に関しては、すでにたくさんの報道がされている。商品が切れているにもかかわらず、スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドできちんと列をつくり、押したり喧嘩をしたりすることなく並んでいる人々。
打撃を受けた福島の第一原発で破滅を食い止めようと働く人々は、英雄のように迎えられはしない。シンプルに自分たちの仕事をしている人たちなのだ。少なくとも、日本人はそう考えている。

西欧の人々は、日本のこうした協調精神や自己を抑制する傾向を理解できず、ほとんど当惑している。私たちには、これは極端な自己犠牲に思えるのだ。でも、日本人にとっては、これは普通の行動だ。……なにも異常ではない。

どんな環境あって、日本人はこんなことができるのだろう?そうして、どんな環境があって、米国ではこういうことを見聞きしないのだろう?

日本人の母をもつ日系アメリカ人として、私は2、3、理論をもっている。

私は決して専門家ではない。けれど、私を育ててくれた人は、祖国の文化ではあまりに変わり者すぎて満足できず、なのになお祖国に焦がれつづけた一人の日本人だった。
双方の文化に足を突っ込みながら、そのどちらにも安住の地を見つけられなかった母は、日本と米国の違いを熱心に語ったものだった。たとえば、礼儀上、ほとんどの日本人ははっきりとものを言わないといったようなことを。

母の体験や、母の友人たち(一時的でも永久的にでも、米国に住んでいる日本女性たち)の体験を通じて、私は日本文化の感覚を覚えた。そして、アメリカ人であることがいろいろな意味で日本人であることとは正反対であることも知った。

私が、日本文化に強い影響を及ぼしていると考える要因がある。

日本は、資源の限られた島国である。

経費が掛かるからというのではなく、ときとして日本人はあまり物を買い込まない。アメリカのようにたくさん物を溜め込む場所があまりないというのが単純な理由だ。
たとえば、典型的な日本のキッチンは、アメリカのキッチンより格段に物で溢れていて、非常に狭い。キッチンに夢見るのは花こう岩の調理台とステンレスの電化製品なんていうアメリカとはちがう。

土地が狭いと、家畜を育てる牧草地も少ないということになる。ついでに、日本人がアメリカ人のように肉や乳製品を食べるようになったのは、ほんのここ数十年の話だ。
通常は、アメリカに滞在していても、日本人の毎日の食事の主軸は肉や乳製品ではない。日本人の伝統的な食事はもっともっとシンプルで、品数も少ない。これは、食事を準備するスペースの狭さからきている可能性がある。

こうした日本の習慣を、私たちは風変わりで面白いと捉える。たとえば、フトンで寝ること、床にすわって食事をすること、弁当箱で食事をとること、炊飯器を使うこと。これらは、空間の狭さに起因しているものだ。
フトンは畳んでしまえる。テーブルは好きな場所に運べる。仕切りのついた弁当箱は、最小限にまとめてさまざまなオカズをちょっとずつ入れられ、食事を持ち運びできるようになる。炊飯器は食事の手順を簡素化できるうえ、調理台の上ではささやかな場所しかとらない。

大量消費は存在はするけれども、余計なものを買い溜めできる場所がないのだから、多く買いすぎるというわけにはなかなかいかない。


日本は、災害に備えることが習慣になっているし、苦難を耐え抜く強い心をもっている。

日本では地震が日常茶飯事だ。そのため、地震の試練は普通に生活の一部になっている。人々は、いつ災害が襲ってくるかわからないと、常に意識しながら暮らしている。
日本の最も上の老年層は、第二次世界大戦の苦難を覚えている。品物が欠乏し、空襲警報が鳴ると、爆撃を避けるために防空壕へ走ったあの時代のことを。

私の母は戦争のことはめったに話さなかったが、一度、こう話してくれたことがある。母の家族はいつも日常的に貴重品をまとめ、地下に食料や物資が入った貯蔵庫を埋めていた。だから、たとえ家が爆撃で焼け落ちようとも、すべてを失わないようにできていたんだ、と。

今、日本の壊滅的打撃を伝えるニュースを見ると、いくつかの地域で食料の供給がかなり制限されているという。しばしばヌードルやお茶が不足しているとも。
避難所では、人々が長い列を作ってオニギリを受け取っている。オニギリとは塩をまぶした米を丸く握ったもので、通常は海草で包まれている。米国の標準からすれば質素に思えるかもしれないが、これは日本の食事の基本だ。
誰も、不平不満は言わない。みな食べ物に感謝し、みんなが食べられるようにするには、状況を見てそれに応じなければならないことを理解している。


日本文化は協調を奨励し、利己主義を阻止する。

しばしばガイジン(日本人ではない人たち)にとって理解しがたいのは、アメリカ人が愛しく大事にしている価値観が、日本の価値観と全く正反対のものだということだ。アメリカ人が重きを置くもの、つまり、自己決定、個性、自己主張、自立、そして強い自意識だ。

日本で最も大事にされているのは、集団だ。個人ではない。学校、家庭、メディア、社会的プレッシャーを通じて、子供たちは、自分たちの役割が自分のためではなく、大きな善のために尽くすことだと教えられる。

利己主義は外国の概念であり、仲間と協力して動けずに自分第一に考える子供は行儀が悪いと思われてしまう。そして、他より自分自身の欲求を優先すると、そんな考え方では社会に居場所がないことをすぐに学ぶことになる。
お辞儀をする日本の習慣は、こうした特異性が表れている。深くお辞儀をすればするほど、より深い尊敬と敬意をもって相手とつきあっていることを示している。

このような日本的な美徳は、深く心に根付くため、日本の影響を受けずに育つということが大きな問題になりかねない。日本の子供たちが米国にやってきて、学校に通い、その後、再び日本に戻り、適応しようという段になって、大問題になることがあるのだ。

私の母の若い友人たちの体験は、「日本人であること」と「アメリカ人であること」の文化的な違いが非常に大きいということだけでなく、許されざることだということを証明している。

私の故郷は大きな大学を中心としているため、海外からの多くの留学生を引き寄せている。大学院で学位を取得する人たちは、家族とともに来ていたりする。
私の日本人の母は、そうした留学生の妻たちに地元のアジアン・マーケットや日本レストランを紹介する熱心かつ熱狂的な大使役だった。

彼らの中には幼い子供を連れて米国にやってきて、滞在中、子供を保育園や幼稚園、小学校に通わせる人たちも少なくなかった。
その後、彼らは日本の公立学校へ戻っていくのだが、帰国後、半分以上の確率で、妻のほうから母に、彼女の娘や息子たちを日本の公立学校のシステムに順応させるのがどれほど大変かを綴った手紙が来た。

こうしたアメリカナイズされた子供たちは、躾上の問題を抱えていると見なされた。他の日本人の子供に比べて、ずけずけモノを言う、規則に従わない、わがまま、協調性がない…。
ほとんどすべての場合、彼女たちは結果的に子供をアメリカ人生徒のために作られた私立学校へ通わせるはめになることを母は経験で学んだ。

米国で暮らしていた日本人の子供たちは、アメリカ人の基準から見れば、行動上の問題はなんら見受けられない。日本の基準で何をもって問題児とされたか、それは彼らのアメリカ人的特徴だった。
彼らは、独立していて、自分に自信があり、恐れることなっく率直に話したり自分だけで決める。アメリカ人の子供ならほとんどが、その特徴をもっていれば、学校でうまく過ごせ、人生を謳歌できる。アメリカでは価値があるものとされる、そうした特徴が、精神構造が全く異なる日本では問題になってしまう。

どちらのモノの考え方が優れているということではない。どちらもその国の文化、環境、歴史の上に成り立つ、その国独特のものなのだ。

けれども、日本の大惨事のニュースを見ていると、日本人たちは、この苦難のときに議論も争いもなく、自然と協力しあっている。日本人は、個人の自発性を重要視せず、集団にとっての最善の利益を目指して動くことに慣れている。

子供たちが急き立てられずとも一生懸命勉強し、会社員は家族の時間を犠牲にして長時間、仕事に打ち込む。そういう日本人の価値観が、この苦難の中でも、そうしてこれまで起こってきたさまざまな災害の中でも、不平も言わず耐え抜く日本人を作り上げている。人とちがう行動をとる(西欧の人々はそうなるのではないかと予想しているが)のは、外国の考え方なのだ。

私は米国で生まれ育ったとはいえ、他人に敬意をほとんど払わない行儀の悪い行動をとったときや、自分のことばかり考えすぎているとき、自分がもっているものを平等に人と分かち合うことを拒んだとき、こうした日本の価値観がはっきりと形になって私の前に現れた。
母が怒りの声を上げ、こう言ったものだ。「お前は日本人じゃない!アメリカ人だ!」

私は昔、この言葉を否定的なものだと思っていた。けなしているのだ、と。でも、現実的には、私が世界に対して「私、私、私」という立ち位置でアプローチしているという母の観察にすぎなかった。彼女は、他人を優先し、自分を最後に回すように育てられてきた人だった。

ゆうべ、日本のニュースを見ていて、私はあるインタビューに衝撃を受けた。
インタビューされていたのは、メルトダウンの可能性が高まるのを食い止めようとしている第一原発プラントの50人の社員、― 『Fukushima Fifty』の妻の一人だった。

彼女は、夫と携帯電話で「気をつけて。がんばってください。私はしばらく家を離れることになります」と話したことを落ち着いた声で語っていた。そして、彼女は、夫が立派に仕事に努められるよう祈っていると言った。

日本人である彼女は、夫がやらねばならないことは職務であると理解していた。夫が全力を尽くして仕事をするのは、みなの最善の利益のためだった。
彼はもう生きては家に帰ってこないかもしれないと恐れたところで、夫の身を案じていることを大声で訴えたところで、彼の仕事の助けになるわけではない。そんなことを叫ぶのは、正しいことではないし、適切でもないのだ。

アメリカ人の妻や夫が、彼女と同じような行動をとるのをあなたは思い描けるか?私はできない。日本人とアメリカ人、どっちが正しいのかって?そんな問題じゃない。

今この瞬間、日本は、自分がありえない状況にいることを自覚している。地と水と火が起こした大惨事は、結末も見えないまま、続いている。被害が大きかった地域を寒波と雪が襲い、生存しているかもしれない人々の帰還を阻んでいる。数え切れない数の遺体の収容を邪魔している。

それでも、日本の人々は礼節と思いやりを失わない。みんなのために善かれと願い、働く気持ちをなくさない。そうすることで、日本人の一番素晴らしい部分を守っている。
彼らは多くを失うかもしれない。けれど、魂は失ってはいない。日本人が受け継いできた文化も、品格もなくしてはいない。

この絶望のさなかでも、彼らは私たちすべてをはっとさせる。

私の母が昔よく言っていたように、彼らは日本人なのだ。

私にとって模範を示してくれていた母はもういない。でも、今、私は数百万人のロールモデルを見ている。
ただ思うのは、母の言葉の裏側にあった静かな品位と控えめなプライドを、こんな呆然とするほどの悲劇から学びたくなかったということだ。

彼らは日本人なのだ。甚大な被害、そしてこの試練を乗り越えられるのかどうかという大勝負の今、こんなときだからこそ、私たちだって、日本人のような品格をもてるよう祈ろう。●


いかがだったでしょうか?。
オイラはこのエッセイを読んで、今まで当たり前に思っていたことが、少しは正しかったんだなと
思え、少し誇らしげに思えました。
そしてまた、正直生きていこうと思います。
そして最後に、オイラもそんな両親に育てられたことを思い出しました。
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by jyai883 | 2011-11-23 09:18

日本人とは?(1。

そうそう、今日はこの記事を転載しようと思っていたのを忘れていました。
昨夜ネットをウロウロしていて、このブログにある海外記事の日本語訳にぶつかりました。

この記事は今般の震災における日本人の立ち振る舞いに対し、日系人の女性が書いたエッセイです。
この記事を読んで、どう思うかは人それぞれですが、アメリカ人として生きる日系人から見た、
彼女の母である日本人のごく「当たり前」な行動が、文化の違い、社会的背景の違いを、
端的に表していると思います。

彼女はアメリカ人として育ちながら、自分の中にある母から躾けられた「日本人」の部分を通して、
今般の震災における日本人の立ち振る舞いを評価しているのが、大変面白かったですね。
彼女は日系人ながらアメリカ人であり、アメリカ人でありながら日本人の心も持っているからこそ、
見えてくる部分もあるでしょう。

中々そうなんだな~と思えるエッセイです。
かなりの長文で、元ブログでは2回に分けて掲載されましたが、オイラも2回に分けます。
内容は一気に読めてしまう内容だと思うのですが、WEBがだめだと言うもんで(笑。
それでは載せましょう。

転載先のブログ

壊滅的な地震と津波に直面した日本人のストイシズムを理解する。

私の母は5年前に亡くなった。今でも寂しいけれど、金曜の地震と津波が引き起こした災害や人々の死、そして惨状を伝える悲惨な映像を目にすることなく逝ったことだけはよかったと思っている。

日本人だった私の母は、アメリカ人である私の父と結婚し、米国へやってきた。けれど、彼女の心にはいつも祖国があった。彼女にとって、この日出づる国が荒ぶる津波に広範囲にわたって押し流されていくのを見るなど、まず耐え切れないことだったろう。

日系アメリカ人の私だが、日本を訪れた回数は指2本で足りてしまう。それでも、テレビに釘付けになりながらも、映像を正視するのは難しいことだった。大阪と名古屋(東京のはるか南の都市)にいる母の親戚が無事なのはわかっている。でも、私がテレビで見たどの顔もどこか、遠い従兄弟や家族の友人のように思えてくる。

私は日本語を話せない。父もそうだ。とはいえ、いつも日本語を聞きながら育った。そのふんだんな情報の源であった母は、いつだって日本人コミュニティや日本人の友達をなんとかして見つけようとしていた。私たち一家がどこに引っ越しても、引っ越すたびにいつもそうだった。
だから、私の頭には、十分な数の言葉やフレーズが入っていて、おおまかな状況を理解できる。

この、ぽつぽつと言葉を覚えているという日本語の知識のせいで、私の胸にテレビに映る災害の映像がいっそう突き刺さってくる。襲いくる津波の映像とともに流れてくる被災者の声に、私の知っている言葉が混じるせいでびくりとしてしまう。
たとえば、『hayaku(早く)』、これは『fast』、『hurry』。『ikimasho(行きましょう)』は、『let's go』。『sugoi(すごい)』は、『terrific』だとか『terrible』。

瓦礫だらけの黒い水が家を破壊し、車や船をひっくり返し、町や村を壊滅させていく映像の中で、こうした言葉が叫ばれているのを耳にするのが本当に苦痛だ。彼らの恐怖を聞き取れるのに、彼らがどうなったのかまでは私には理解できないのだから。

日本人のストイシズムから生まれているものは多い。
日本語通訳による吹き替えは、ゆっくりとしていてたどたどしく、無感情だ。これは、日本の公共放送、NHKの映像をそのまま訳しているためだ。
被災者たちの声を伝えるNHKのニュースは、とてもニュートラルで客観的なのだ。これに比べると、米国のCNNのiRepot(訳注:CNNが展開する、各地視聴者が取材したニュースを集めたサイト)など、頻繁に出てくる四文字言葉にピー音をかぶせているほどだ。

日本人が苦痛を表現するとき、言葉はほとんどない。「あぁ…」という泣き声だけだ。このビデオ(訳注:削除済みのようです)を撮った日本に留学中のアメリカ人大学生のように、延々と悪態をつくこともなく、まるで他人の不幸を喜んでいるかのように興奮するようなこともない。このアメリカ人大学生は、ビデオカメラを抱えて製油所の爆発現場に向かって走り出し、その動画をCNNに送って、15分間の名声を得たのだ。

日本国民の大多数はこんなまねはしない。それはなぜか。日本人とともに過ごしたことがある人なら誰だって、その答えを知っている。

私たちはニュース映像で、日本の人々の姿を見ている。彼らは、津波に押し流され、夫や妻や子供たちと離れ離れになったことを話しながら、それでも泣き喚くこともせず、落ち込むこともなく、諦めることもしていなかった。
アメリカ人レポーターたちは、ついに日本人が感情を乱し、人目も憚らず悲嘆に暮れる日がきてしまったのだと思っただろうが、私はそんなことはないと知っていた。
日本人はこうやって生き抜いてきたのだ。

私自身はストイックとは程遠い人間だけれども、この日本特有の美徳のサンプルに囲まれて育った。母だ。母は、日本の親戚たちから見れば多少感情的で、日本人らしくない人だったが、末期の肝臓ガンと診断され余命5~7ヶ月と宣告されても、ガンに心を流されることを拒み、18ヶ月生き抜いた。
嘆きもせず、悲しみもせず、泣きもせず、取り乱すこともなかった。まるで何一つ変わってはいないとでもいうように、いつも通りだった。
人生は、母がそう続けていける限り、変わらないものであり続けた。

最後の数ヶ月に、母はハワイへの1週間の旅行を計画した。地理的には、米国と日本のちょうど真ん中の場所への旅行だった。そこで、まだ存命の4人の姉妹のうち2人と再会した。
が、数十年ぶりにようやく再会したというのに、彼女たちは、涙も感情の高ぶりも見せなかった。

私はその旅行に同行したのだが、ある夜突然、母に痙攣発作が起こり、病院で一夜を過ごすことになった。その後、弱々しい疲弊した状態でホリディ用のレンタルハウスに戻ってきたときでさえ、誰も動揺は見せなかった。
私たちは観光をし、買い物をし、レストランで食事をした。まるで何も悪いことなど起こっていないかのように。母の姉妹たちは決してうろたえず、動揺せず、悲しみや不安に身を預けたりはしなかった。

空港で別れるときも、もう二度と相見えることはない人たちの行動とは思えないものだった。抱き合い、さよならを言い、連絡を絶やさないことを約束して、彼女たちは別れた。が、そこには、これが最後という決然たる気配も、後悔も、絶望もなかったのだ。

10ヵ月後、母は自宅で逝ったが、私たち一家には、あのときの母たちほど立派なさよならの瞬間はなかった。終わりのときが近づいていることを受け止める心も、言っておかなくてはならない大事なことを言い交わすことも、深い情緒に満ちた態度もなかった。
あれは、私の母のやり方だった。母の家族のやり方であり、彼女が育った戦前の日本社会のやり方だった。

日本は、地震に厳しい試練を何度も課されることを、避けがたい人生の現実として常に受け入れてきた国家だ。サイレンが鳴り出したら、すべてを置いて逃げろと国民に教えてきた国だ。
戦争に負け、原爆で二つの都市が消滅するのを見た国だ。君主制が崩壊するのを目撃し、民主主義を受け入れることを学び、戦後に年月をかけて復興し、現在の経済大国になった国だ。
Wall Street Journalは、去年、中国に抜かれるまで、日本が42年間に及んで米国に次ぐ世界第2位の経済大国という、みながうらやむような地位にいたことを伝えている。

日本はタフだ。日本がトーク番組のゲストだったら、『チャーリー・ローズ』では生き生きと語り、『ジェリー・スプリンガー・ショー』では黙して語らずだろう。日本は、取り乱さない。良くも悪くも、それが日本のやり方だ。

(訳注:
チャーリー・ローズ:チャーリー・ローズのトーク番組。一対一のインタビューや討論会で、彼自身が最も関心がある、洞察力に富んだ政治家、科学者、ビジネス界の指導者、作家、企業家、アスリートと対話する。
ジェリー・スプリンガー・ショー:『愛する二人別れる二人』の元ネタになった、問題を抱えた夫婦や家族たちが出演し、議論する番組。ゴミ番組の典型と言われることもある。)

子供の頃、私は母の若い時代や、家族、姉妹たちの写真が貼られたアルバムを見たものだ。スナップ写真であれ、有名な観光名所でポーズをとった写真であれ、どの写真も厳粛さをたたえている。ほぼ決然とした表情だ。微笑はない。カメラ向けの大袈裟なポーズもない。
「どうしてお母さんの姉妹は笑わないの?」と私は母に尋ねたものだ。すると母はこう答えた。「日本人はそういう人たちじゃないの」。まるで説明はこれで十分とでも言わんばかりに。

私が15歳のとき、母に連れられて、2週間、日本の家族を訪ねたことがある。日本を旅し、私自身がもつ文化の源流の1つを辿った。旅では、ところどころ私の日本人の叔母たちが付き添ってくれた。
東京ツアーのはとバスに乗ったときのことだ。バスには、アメリカ人旅行者と日本人旅行者の双方が乗っていた。ツアーガイドが旅行者たちを集め、集合写真を撮った。アメリカ人たちは開けっぴろげに笑い、手でジェスチャーをした。一方、日本人たちは、両腕を下ろして脇側に揃え、感情の見えない顔つきでカメラを見ていた。

今でもときおり私は、この写真を見て、あのときの旅行を思い出す。
私は、外見は日本人に見えるのに、行動はアメリカ人だった。人々はわずかに、だが明らかに私を非難していた。私はあまりにうるさく、あまりに感情的だった。まるで精神的に不完全な人間であるかのように両手を使って話し、あらゆる仕草があまりにも大きく、開けっぴろげすぎた。

当時の私にはわからなかったことが、今はもうわかる。
計画停電、食料と水の流通の少なさ、ガソリンスタンドやスーパー、コンビニ前の長い列。そんな中だというのに、街で暴動が起こらない理由。それは、日本人はそういう人たちではないからだ。大昔、私の母が私に謎めかしてそう答えたように。

私たちも、あの9.11の後、空しさと悲しみの片鱗を経験はしている。けれど、日本は、そんな私たちが想像もできないことを今、経験している。
私たちは9/11をなんとか乗り越えたが、日本は絶対に乗り越えるだろう。役立つのは、日本を助ける救助機関への募金だ。日本がストイシズムを結局は手放してしまうだろうだとか、『ドクター・フィル・ショー』に出てくる、罪悪感に苦しむゲストたちのように取り乱してしまうのではないかという推測などなんの役にも立たない。

(訳注:
『ドクター・フィル・ショー』:ダイエット、家計、贈答品の相談、年甲斐もない服を着る母親、不仲の夫婦、崩壊家庭など、広い話題をカバーするトーク番組。)

仮にアメリカのメディアが、多くの人が「人類の悲劇」と劇的に呼んでいるこの地震に対する日本人の反応を(訳注:自分たちの価値観で)批評することなく、ニュースを届けることができるのなら、私たちは真の理解と深い思いやりに一歩近く近づいたことになるだろう。

数千人の人々の命が失われてしまっているのかもしれないというのに、こんなふうに感情が抑制されているのは、たぶん国中が衝撃の中にあるせいかもしれない。裂けるような悲鳴があがる直前、無意識に大きく息を吸って止めている状態なのかもしれない。
そうでなければ、たぶんこれが、数千年の長い歴史の中でも最悪の瞬間の1つを乗り切らねばならないこのときに、しなければならないことをちゃんとできるように、長い年月をかけて日本人が磨き抜いてきたストイシズムなのだ。

はっきりとしていることが1つある。
今、自分が見、味わい、吸い込み、匂いを嗅ぎ、感じているものが悲しみ以外に何もないというのに、遺体を捜索して収容し、瓦礫を取り払い、再建への計画を心に描くことなど、ほぼ不可能に近い。
だからこそ、未来が見えないとき、足を交互に出して前進する力を集めるために、感情を捨てることもときには必要なことなのだ。

泣くときは、批評も分析もない、日本人たちだけの場所で日本が泣きたいときに泣かせてあげよう。私たちは、良い友達として、日本人のそばに立ち、彼らが必要なものを提供しよう。たとえ、日本人が望むものが、(訳注:アメリカ人のように)顔をうずめて泣く友人の肩ではなく、ただの(一見、冷静な)握手だとしても。
彼らの悲しみは、耐えねばならないものなのだ。長い経験から、彼らは、この苦痛を耐えるにはどうしたらいいのか一番良い方法を知っている。(つづく)
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by jyai883 | 2011-11-23 09:16

すみません


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今月は、更新さぼり気味ですみません。
特に何があるわけではないのですが、休みには用事が入り、バイクに乗ったり触ったりできず、
ひたすら原付で通勤しているだけで、意識がバイクから離れています。

明日も休みなので、明日は少しバイクに乗ろうかと、どこへ行こうか考え中ですね。

あまり考えていなかったのですが、9月の娘の事故とその処理と、その他申請手続きと、
その頃できなかったことが、今になって大きくしわ寄せとして、忙殺されていおりまして、
ようやく一息できます。

昨日一昨日も休みでしたが、ずっといけなかった親父の墓参りや、お見舞いのお返しを買いにいったりして、
時間がつぶれてしまいました。
何か目的があれば、それでもバイクで出かけるのですが、何かを考えながら走っても楽しくないので、
最近は中々クリアな状態にならりませんでした。

それでもガレージにバイクがあるだけで、それを見るだけで安心する部分もあります。
「今度はこいつに乗ってどこへ行こうかな?」とCRJ883やCL400を見ながらそう思い、
仕事に出かけます。
まあそれだけでも、オイラの心の支えになっているのは事実ですね。

ヤレてきたCRJのフォークシールの交換もありますが、こいつは部分的に国産のものが
使用できるみたいだし(友人のブログで見つけました 笑)、もう少しクソクソな状態にしてから、
そんなことも考慮しながら、のんびりやろうと思っています。

ああそんなこと考えていたら、少し走って午後からは少しメンテしなければなりませんね。
CLのメーターもライトが接触不良だし。
まあ明日は、バイクの日にすることにしましょうか。
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by jyai883 | 2011-11-23 07:59

ブルパックハンドル


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最近貼るの忘れてました。随時募集中です。


最近ふとブルパックのスポーツスターもええな~と思うときがあります。
もっともCRJをブルパックにしようとは思いませんが(笑。
奥様のハガーは元々ブルパックでしたから、うちに1本落ちています。

最近頭をよぎるのは、‘88に刊行された「タッチザパワー オブ ハーレーダヴィッドソン」という
クラブマン別冊の中の記事ですね。
当時はじめて刊行されたスポーツスター本で、うちにも今は現物がありませんが
(ターミーに資料としてやっちゃった)、若かりし頃のシン池田氏の編集によります。

日本に初めてXRVを紹介したり、当時のレーシングスポーツスターなどが載っていましたが、
その冒頭、池田氏によるアメリカツーリングの記事の中、レンタルされていたのが、
当時の883ハガーでした。
年式は思い出せませんが、黒い車体にレターロゴのピーナッツタンク。
シングルシートにブルパックハンドルのスタイルは、ひどくアメリカ的で、当時まだ速さに憧れがあった
オイラとしては(速さといってもハーレー的なってことで)、受け入れがたいスタイルでしたが、
今思い起こせば、中々新鮮に映ります。

子供の頃外国の自動車のシートのスタイルは、その国の騎兵の乗馬姿勢が元になってると、
本当か嘘分からないことを親父に教えられましたが、バイクの乗車姿勢の方が、
より顕著なのではないでしょうか?。

そう考えると他の国にはありえない、ブルパックハンドルは、アメリカ的なんでしょうね。
そういえば‘88頃輸入されていた、ハリスボンネビルのUSタイプもブルパックでしたね。

‘97の奥様ハガーのノーマルスタイルは、3.5Gタンクでブルパックでしたし、最初から
1マイルタンデムシートが付いていたし、バーハンドルに交換が最初から前提でしたから
気にもしませんでしたが、最近はその本のページが頭をよぎります。

スピードとかスタイルとかよりは、歳をとった分、「こんなバイクに乗りたい」が強くなっているのかも
しれませんね。
ある意味「こんなスタイル」って部分をCRJでやってしまったので、タガが外れてしまったのか、
オイラが思う、よりスポーツスターらしいスポーツスター、アメリカンスポーツを思うと、
なぜかブルパックにスモールピーナッツタンクのスポーツスターになってしまいます。

前後に大きなホイール、アンバランスな小さなタンク、サドルシートに大きく羽根のようなブルパックハンドル。
子供の頃の記憶の中にある「変わった形のバイク」そのものです。
実際のスピードではなく「速さ」を感じるこのできるスタイルのように思えます。
今は車検を切っている奥様号。
次の車検の時は、ブルパックハンドルかな?。

c0063859_12564723.jpg

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by jyai883 | 2011-11-17 08:26

中々

そうなんです。
最近はすっかりシフト勤務のため、週末にお誘いいただいても、土日はほとんどシフトに入っているので、
中々ご一緒できません。
今のシフト編成は、前月の25日あたりで決まるので、確実に予定の分かるミーティングなど以外は、
シフトを変わってもらわないと、無理っぽいですね。
平日走っても車が多いので、中々走りづらいところもありますから、休日に走る方が、
気持ちが良いのでいいですね。

シフトの休日間隔も結構ばらばらなので、曜日の間隔はなくなりつつあるし、営業が6時~20時なので、
遅番、早番があるのですが、どちらにも入るので、1日の感覚も変わりつつあります。
今月が終われば、ようやく働き始めて3ヶ月になりますが、まだまだ仕事が一回りした感覚がないので、
初めてのことにぶち当たると、戸惑ったりしております。

店は建築金物専門で、ほぼ業者相手のホームセンターなので、そこそこ物は分かるのですが、
やはり細かいところは、業種がちがうと知らないことも多く、うちの店は仕上げ業者さんが多いことから、
教えてもらうことだらけで、毎日覚えることが増えていきますね。
逆に物はあるものの、仮設、仮枠などの躯体業者さんは少なく、もっとも躯体業者さんは、資材量が
多いため、うちなどに来ずに、直接材料屋から大量に入れるでしょうから、需要は少ないですね。

ねじ関係ですと、うちはメトリック、ウィットワースはありますが、ユニファイはないので、
ハーレーには使えませんね(笑。
まあ貫通ボルトなら何でも良いですが、建築金物のねじピッチはほとんど決まっているため、
非常に限られるので、中々使えるものは少ないと思います。

建築金物や電動工具、資材を扱っていますが、頭のどこかでバイクに使えるものを探してしまうのは、
性だと思いますが、中々少ないのも現実です。
工具もほとんどインチはないし、建築の世界ではインチもミリ表示にされてしまうことが多いので、
非常に分かりづらくなっています。
また逆にミリ表示されながら、実はインチなんてのも多くあります。

業種によっては分からないものは本気で分からないので、これまた困りものです(笑。

左官仕事に使用するモルタルの違いなどは用途によって多種あるし、クロス関係はぜんぜん分からないし、
内装大工さんが使う釘なども、多種存在するので、用途が分かりきらないし、毎日勉強みたいなもんですね。
そのほか、木造用の金物も多種存在するし、水道設備用品や、雨どいなどはほぼお手上げ状態。
種類の多さでは、電気関係は、多様な配管敷設用品から、スイッチブレーカー、分電板など、担当者が
常に出勤状態にあるわけではないので、覚えることは山ほどあります。

お客様も個人からある程度の工務店、近所の現場のゼネコンなど要求も多様ですが、
ないものはないし、すべてを取り扱うのは不可能なので、ご要望に答えきれないのは、
致し方ない部分でしょうね。
どちらかといえば、ちょっと足りなくなったときの間に合わせに便利に使ってもらうと良いように思いますが、
たまには大量の資材買い付けもありますから、積み込みが大変なこともあります。

まあそれでもぼちぼちやっておりますが、中々思うように動けてないのが現状でしょうか(笑。
それでもお客様に、「こうしたいんだけど、どうしたらいいかな?」など用途違いの相談を受けると
一緒にあ~だこ~だと考えるのは楽しいですね。
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by jyai883 | 2011-11-16 09:35