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先日

「世界最速のインディアン」を見てきました。
久しぶりに良いロードムービーだったと思います。
ちょっと変わり者で、ファンキーなジジイ(笑、次々に現れる協力者、彼の夢の実現に力を貸してくれる人々、良い人たちに助けられソルトレイクを目指します。

早朝ご機嫌伺いで、マシンをスターターでスタートして、火が入ったと同時にリンカートの
吸入口を手でふさぎチョーキング。
しかし隣家の住人から苦情を言われ、次ぎやったら警察呼ぶぞと脅される。
まあ、常識の問題ですがどこでも一緒、このオヤジ馬鹿です(笑。
いくらなんでも、直管ですから。

他人事ではありません(笑。

エントリーもせず、サーキットに行き困っている彼に手を差し伸べてくれる競技者やパトロン。
彼はみんなの支えとマシンの実力で速度200マイルの壁に挑みます。

この映画を通じて感じるのは、モーターサイクルへの社会的認識の違いでしょうか。
日本ではバイク=悪いと言う図式が少なからず見られますが、(=不良とか、=社会悪だとか、=危険とか)そう言う偏見は見られません。
機械として、道具として、普通に日常生活の中で認められているように思います。

良くバイク文化と言う言葉を耳にします。
オイラはそんな言葉は、社会学的テーマ以外ないと思っています。
逆に日本の文化の中でモーターサイクルがどのような認識の中にあるのか方が、重要に思います。

日本でのバイクの社会的な認識は、実用としてのスーパーカブか、自動車免許までのはしかのようなものか、一種のファッションとして認知されているに過ぎず、一般的にはモータリング文化のカテゴリーには、認知されていないのではないでしょうか?。

アメリカには、馬から始まるコミューターとしての乗り物があらゆる形で、現在も存在します。
しかし日本では次々と新しいコミューターを導入することで、淘汰されてきたように思います。
これはどちらが良いと言うのではなく、そのような性分が日本人にはあるのだと感じます。

長い間、歩くこと以外、個人的移動手段を持たなかった日本人は、利便性が低く、大量輸送できない、個人的移動機械に対しては憧れつつも、理解しがたい側面があるように思います。


将来、必要性と実用性の流れの中で、モーターサイクルは1部の実用的小型車以外、生き残りの道が見えてきません。
今何か発信しなければ、この流れの中でモーターサイクルは形の上で淘汰されかねない状況にあります。

これは極端な言い方ですが、大げさなことでもないでしょう。
少なくとも自分自身でさえこのように感じてしまうし、バイクへの認識は書いた程度だとも
思います。
今自分に何ができるか?、じっくり考えていきたいと思います。
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by jyai883 | 2007-02-26 10:15

近頃

目くるめく脳内でライディングしてるオイラです(笑。
なんとなくバイクに乗る機会を逸しています。
まあそれはさて置き・・・。

近頃、あらゆる意味でバイクの世界が変化しつつあることは、ここを読んでる人も、
読んでない人も感じていることだろうとも思います。
環境問題、エネルギー問題、市場の変化、嗜好の変化、ニーズの変化、存在意義、
価値観、必要性、第三者からのフィードバック、・・・etc。

どれを取ってみてもバイク乗りには肩身が狭いことばかりかもしれません。
新たな法的規制、常態化するダブルスタンダード、規制と取締りの乖離、悪者探し・・・。
そんな状況から離れたいと思うこともあります。
気づかなければ、新車を買ったときの気持ちのまま、あのヒマさえあればバイクに乗り、いじり、走り回っていた日々を再び夢見たかもしれません。

如何に法的規制が厳しくなろうと、環境的対策が施行されようと、やるやつはやりたいことを
やることは周知の事実です。
しかしそんな自由と言うなの自分勝手が、現在の事態を招いた原因の1部であると言う自覚が
あるライダーもまたほんの1部であるのも事実です。

オイラは現在、合法的なバイクに乗っています。
あれだけあ~だこ~だと言いながら、自分のバイクで実験しながらも、最近は合法的な
範囲のものしか手を出していません。
オイラは規制とか、法的措置とか、それに伴う取り締まりだとか、それを取り締まる方々とかが、バイクに乗る上では大嫌いなので(プライベートはOKです。 笑)これらから何の干渉も受けない状況でバイクに乗るために、合法的な範囲にとどめています。

バイクに乗る上で、様々干渉から自由でありたいと思う以上、あらゆる規制や法的取締りから
干渉できない立場でいたいと思うからです。
自由・・・コレほど都合よく、曖昧な言葉はありませんが、オイラはあらゆるモノから自由でいたいと思います。
あらゆるものから干渉されず、束縛されず、拘束されない、ある意味バイクを乗ることからも、
生きていくことからも、自由でありたいと思います。

この世界には生きていく以上、アンタッチャブルな場所など無いことは誰でも知っていることですが、それでも束縛されずに生きようとするならば、自分勝手に生きるか、
生きることからも自由な立場に立つか、そのどちらかではないかと、オイラは考えます。

オイラは常にあらゆることから自由でありたいと思います。
自由とはどんな環境の中にいても、そこに拘らず、捉われず、執着せず、他人を意識せず、
ありのままでいることだと思い、そうありたいと願い、そうあろうと努力することだと思います。
そうできれば、干渉されることも、束縛されること、拘束されることもなくなるでしょう。

常に自由でいること、それが今のオイラのスタンスだとも言えるでしょう。
あらゆることに、拘束し、執着し、干渉しているのが、実は自分自身に他ならないと思うからです。
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by jyai883 | 2007-02-23 23:13

あの~

国産アメリカンもコレくらいのセンスがあれば・・・。

詳細はこちら

http://thekneeslider.com/archives/2007/02/08/shelby-motorcycle-built-by-rucker-performance/

その影にはキャロル シェルビーが・・・。
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by jyai883 | 2007-02-09 19:41

883の3拍子

以前にも書きましたが、90s後半頃から883は3拍子を打つと言う意見を掲示板で
見るようになりました。
コレを見て、さて?と思ったことがあります。
98‘に奥様の883ハガーが来た時、メカから「小さいビッグツインみたいですよ」と言われ、
さて?と思ったこともあります。

確かに90s後半の883は、まさにクランクに乗ると表現できるような、走行フィールで
トットコ走ります。
さて?何が違うんだろう?。

それまで90s前半の5速883には乗ったことがありましたが、走った感じは4速とさほど
変わらないはずだと思っていたのですが、後半のものは明らかに違います。
この辺を何で?ってメカに聞いたら、クランクが1200と共通になったとききました。
確かに95‘からリスト上でクランクは共通化されています。
更に排ガス規制のせいか、前期のものよりジェットは絞られ、進角は遅くなっています。

そこでビッグツインをクランクをそのままに、1200にボアダウンすれば、更にテイストアップか
と考えたのが、近藤さんと文通が始まるきっかけでした。
まあこれは実現しないまま現在に至っていますが(笑。

このクランクに乗って走るって感じ、パワー重視のこの時代では、なかなか味わうことも
なくなりましたが、日常の速度域の中でコレを感じるバイクは中々なくなりましたね。
TC辺りからは、これも弱くなった感じがします。

ひょっとするとラバーマウントのスポでも883はそうなのかも知れませんが、いまだに
検証できません。

あ~でもそんなこと考えて走ってるやつ自体が絶滅危惧種ですかね?(笑。
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by jyai883 | 2007-02-04 19:08

え~

ココのサイトは病気です。
かなりやばいです(笑。

http://lazareth.fr/
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by jyai883 | 2007-02-02 19:10