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戦争映画を考える、突然の最終回

当初もっとフランクに書こうと思っていましたが、このままで行くと別の1本のブログを書かなければいけなく
成りそうなので、ジャンルを考えずに戦争映画を見ながら思っていたことを最後に書いてみたいと
思います。

第2次大戦以降、多くの戦乱が起こり、その度またはその後映画として描かれて来ました。

そこに映し出される人々は、公の任務と、個人としての心情の間で常に揺れ動きます。

戦争映画の描き方はドラマなのかアクションなのか、視点により大きく変わりますし、
個人なのか、集団なのか、心理的にはあまりに戦争といううねりが大きすぎるため、
ただそこに巻き込まれてしまうようにしか、書ききれないないことだと思います。

その中でオイラのはとても印象的な作品があります。
ベッドミドラー主演の「フォ ザ ボ-イズ」でしょうか。
主人公のベッドミドラーは、スタジオシンガーとしてチュニジアに出征した夫の留守を一人息子ととも
くらしています。

叔父の誘いにより、慰問団に加わり、戦地で夫と再会しますが、その後戦死を知らされます。
やがてコメディアンとしての頭角を現し、それなりの地位を得ますが、戦乱と共に再び慰問団にくわわり、
朝鮮戦争の悲惨な兵士を目の当たりにし、またレッドパージにより公職を追われる叔父を見ます。
子供の成長だけを願い、仕事に明け暮れる彼女ですが、息子はやがて士官学校に入り、
ベトナムへ出征していきます。

彼女は息子に会いに三度慰問団加わり、戦地へ赴き、荒くれる兵士を見て戦いの質の違いを
感じながら、全ての息子のために歌う「イン マイ ライフ」は圧巻です。
直後べトコンの攻撃により、目の前で息子をなくした彼女は絶望のまま、時が流れます。

うらぶれた彼女をすばらしいコメディアンとして表彰する話が持ち上がり、気難しい彼女を
エスコートすべく差し向けられた青年が、昔話として聞く形をとって物語がすすむのですが、
その時代その時代の、兵士とその戦いの意味、そしてそれを待つ妻として、恋人として、母として
の心情が良く書かれている作品だと思います。

戦争や思想、国家というものに翻弄されながら、生きていかなければ成らない多くの市民。
戦争という立場に立たされた市民が、皆同じように感じることを映画として作ってしまった
事がすごいと思います。

もし本当に戦争映画を描かなければ成らなければ、ひとつのテーマに対しても多面的に描かなければ
ならず、とても1本の作品にまとめることは出来ないと思います。
またそれを善意で取るか、悪意で取るか、それによっても解釈は大きく違います。
硫黄島のことをクリントイーストウッドが2本として描いたのは、そこにあまりに多くのドラマが
在りすぎてしまったためであり、最初から双方の立場でなければ、描ききれないと思ったからでしょうね。

オイラが映画を通して見る戦争には、善悪はありません。
あえて言うならば双方に正統な理由があり、双方に悪行があるとしかいえないことでしょう。
絶対に正義な闘いもない代わりに、絶対に悪意の戦いもないと思います。
可能であれば、個人としても、国家としても戦争は常に避けたいと思うのは当然のことであり、
政治的にどうあれ、個人的には絶対戦争などしたくないのが心情でしょう。

そこには抗し難いうねりの中に巻き込まれてしまった個人が、戸惑いながら存在するだけなのでは
と思っています。
by jyai883 | 2010-08-21 10:07
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